読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

知の遊戯場

しがないネット小説家が頭の固い話をする『知の掃き溜め』。読んだ本の感想とか、時事問題についての意見が主流になるはず。カクヨム・小説家になろうにて『第三世界線上の大戦争《グレート・ウォー》』を執筆中。

講演草案 『第一次世界大戦前後』―フランス革命から第二次世界大戦まで―

どうも。

今日は、今書いている『第三世界線上の大戦争《グレート・ウォー》』が終わったらやろうと思っている『第一次世界大戦』の講義草案を書きたいと思っています。

その書いている小説が何時終わるのか非常に怪しいのですが、まぁ、頭の中を整理するのは重要ですし……以下のシラバスを読んでワクワクする殊勝な方は、首を長くして待っていてください。

 

設定は、『第三世界線上の大戦争』の登場人物である、高校の世界史教師である田村先生が授業しているという形で行きたいと思います。講演調ということですね。

一応、大学のシラバスみたいな感じでやる内容を書くと……

 

序論 『長い19世紀』と『短い20世紀』

第一部 古典外交の成立―回復された平和―

 第一章 フランス革命国民国家の成立―

 第二章 「ヨーロッパ」の成立―ヒュームの勢力均衡論―

 第三章 ウィーン会議―勢力均衡・会議体勢の確立―

 第四章 クリミア戦争―勢力均衡・会議体勢の維持―

第二部 古典外交の変質―現実政治―

 第一章 ドイツ統一ビスマルクの登場―

 第二章 日露戦争―ヨーロッパ没落の兆し―

第三部 古典外交の崩壊―100年の平和が破られる時―

 第一章 建艦競争―民主主義の浸透―

 第二章 バルカン危機―吹き荒れるナショナリズム

 第三章 シェリーフェン・プラン―ドイツの苦悩―

 第四章 七月危機―転がり落ちる小石―

 第五章 第一次世界大戦―総力戦の衝撃―

 第六章 ロシア革命イデオロギーという妖怪―

第四部 新しい外交へ―国際連盟の成立―

 第一章 ヴェルサイユ条約―蒔かれた戦争のタネ―

 第二章 ウッドロー・ウィルソンの構想―国際連盟の成立―

 第三章 危機の二十年―理想的平和主義の危機―

 第四章 世界恐慌ブロック経済

 第五章 第二次世界大戦―新しい外交の破局と再生・核兵器の登場―

 

という感じでいこうかなと思います。勿論、途中で章立てとかが変わるかもしれませんけど、大まかな流れはこんな感じで……

いけるかなぁ……心配だなぁ。だいたい、今更批判されまくっているホブスホームの『短い20世紀論』で話を書くのは戦々恐々という感じなんですがね。最近では『長い20世紀』論が出ているようでして……

まぁ、気軽に歴史の面白さを知ってもらうという感じで肩の力を抜いてやろうかと思います。

兎にも角にも、今書いてる小説を完結させねば。でも、時間かかりそうでして、あと一年ぐらいかかりそうな勢いです。

第一次世界大戦をまるっとやるわけではないんですが、それでも時間かかりそうです。12月に入れば暇ができるので、一気に進めたいところですが……

 

では、また。

ドナルド・トランプは民主主義の理想である

どうも、こんばんは。

 

本日は最近話題のドナルド・トランプ次期米大統領についてです。

 

ドナルド・トランプ氏の評価は基本的に否定的なものが多いと思います。

曰く、「ポピュリスト」、「排外主義者」、「レイシスト」。

肯定的な意見は殆どありません。特に、知識人からの評判は最悪でしょう。

 

しかし、僕はあえてトランプ氏を評価してみたいと思います。

僕は言いたい。

ドナルド・トランプは民主主義の理想である」と。

 

民主主義にとって理想的な政治家とは、「民意を代表する者」であると通常は考えられています。

そりゃそうです。民主主義制度下において最終的な意思決定者は国民です。その国民の考えと全く違う人が指導者に選ばれるのは、民主主義ではありえないのです。

 

しかし、民主主義、特に間接民主制において、政治家は民意の代弁者という役割の他に、もう一つ重要な役割があると考えられています。

それはつまり、「争点を提案すること」です。

政治家は民意を代弁するだけではなく、今何が問題なのかを提案しなければなりません。なぜなら、そうしなければ、その問題で被害を受けている人々の不満が溜まるからです。

 

民主主義が長く続くためには、民意として現れてこない問題を汲み取ることも必要なのです。

 

言ってしまえば、民主主義で求められる政治家像とは、

「俺は皆の意思に従う。でも俺、これこれも問題だと思うんだ。皆、どう思う?」という人なのです。

 

その意味で、ドナルド・トランプ氏は「争点を提案する」という政治家の役割を果たしました。

移民問題という非常にナイーブで危ない話題を取り上げ、選挙の争点としたのです。

もし、トランプ氏が移民問題を取り上げなければ、移民問題は有耶無耶のままになっていたでしょう。それは、「民意の代弁」という意味でも、そして「争点の提案」という意味でも、民主主義の危機でしょう。

 

民主主義にとって、一番の問題とは多数者が少数者を抑圧することなのです。

民意を汲み取るだけでは、それは『多数者の専制』を呼び寄せます。

移民で苦しんでいる人もいるのも事実なのです。にも関わらず、それを無視して選挙の争点としないのでは、民主主義の危機となります。

 

そういう訳で、ドナルド・トランプは民主主義の理想」であるわけです。

 

まぁ、移民問題というパンドラの箱を開けてしまったという評価も可能でしょう。

歴史を振り返ると、民意を無視したり、争点を提案するのをやめたりするのも民主主義にとって必要だったりするのは公然の秘密です。 

 

どうでしょうか?分かっていただけたでしょうか?

もうちょっと整理して話す機会があればいいんですけど、今日はこれぐらいで許していただければと思います。

では、また。

SSF(ソーシャルサイエンスフィクション)という可能性

どうも、こんばんは。

 

今日は新しい概念を提示してみたいと思います。

それは、Social Science Fiction、略してSSFです!!

 

最近、SFを読むと思うことあるんですよね。

Science Fictionって名前なのに殆ど「Natural Science Fiction」じゃん。

つまり、自然科学(Natural Science)に重きを置いているんですよね。社会科学(Social Science)がSFで大きな位置を占めるのは例外的です。

社会科学的な側面が含まれるSFはジョージ・オーウェルの『一九八四年』とか、最近の例だと『PSYCHO-PASS』とかぐらいじゃないでしょうか。

 

 

もっと、社会科学の古典を引用しまくってもいいと思うんですよね。

自然科学だけが持て囃されて、社会科学が日陰でコツコツとあーだこーだとやってるのがすごく不公平な感じがします。まぁ、科学技術も社会の産物ですから、その意味では社会科学的な視点もSFにはあるんですがね。

 

でも、

正義とは何か、社会とは何か、資本主義とは何か、民主主義とは何か、自由主義とは何か。

数多くの思想家や教授が、一応の答えを出そうと躍起になっているのだから、その成果をもっと利用するべきだと僕は思います。

 

 

 

僕が小説の毎話冒頭に引用文を置いたり、小説のキャラクターにそういったことを言わせているのはそういった事情から置いてまして。

それに、『PSYCHO-PASS』脚本家の深見真さんが言うには

PSYCHO-PASS サイコパス」の引用が特殊なのではなくて、逆に日本の作品の中で、引用することが少なすぎるんだと思うんですよね。…(略)… 単純にカッコいいから、もっと引用したらいいと思うんです。

「劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス」特集、虚淵玄×深見真の脚本家対談 (1/4) - コミックナタリー Power Push

って言ってますし……

 

結構、面白いんですよ。本読んでいる時に、あっ、このフレーズ良いなとか。

 

そんな感じで本を読んだら、本読むのが楽しくなりますしね。

まぁ、それだけです。

 

では、また今度。

歴史小説家の大変さ

どうも、ぶっちーです。

 

のっけからそんなに難しい話をするのは疲れるので、最初は軽い話をしましょう。

 

話の内容は題名の通り、『歴史小説家の大変さ』についてです。

 

小説はどれでもかんでも、案外書いてみると大変なものです。ライトノベルだろうが、純文学だろうが、とにもかくにも大変なのです。

意外かもしれませんが、きっとライトノベルも純文学も書いてる当人の苦しみからすればどちらも同じようなものだと思います。私小説という括りで見ればどれもどんぐりの背比べでしかないわけで。

 

ライトノベルも純文学も自分の経験の限界を突き詰めるわけですから、大変さという基準では一緒なのです。ライトノベルが低俗だ、という人もおられるでしょうが、それは当たり前です。だいたい書いてる本人が残念なのですから。

 

さて、ライトノベル作家も純文学作家も私小説である以上、だいたい一緒ですが、歴史小説を書いてる人は彼らとはだいぶ趣が違います。なぜなら、歴史小説私小説とはだいぶ性格を異にしていまして、自分の経験の限界どころか、想像力と知識の限界も突き詰めなきゃならんからです。

 

思うに、歴史小説というのは個人の内面的世界に閉じこもるのは不可能であり、常に社会との関わりを考えなくてはならないわけです。当時の価値観であったり、歴史であったり、そういうのを嫌でも意識せざるを得ない。そこら辺がすごい大変なのです。

資料を漁って、できるだけ事実とは離れないようにしなくてはならないわけですから大変です。

頭のなかでストーリーが出来上がるのはどんなにラクなことか。自分の価値観、倫理に立脚してストーリーを考えることが出来るのですからまだ楽なのです。歴史小説家というのはそれに加えて、知識とかが居るわけです。政治、文化、経済、思想、宗教。

 

ね?そう考えたら大変でしょ?

 

そういう訳で、小説家というのはだいたい大変なのですが、特に歴史小説家は大変なのです。あと、SF作家とかも大変だと思います。

まぁ、私のこの主張は、私小説に対する非難であったりもするのですが、そこはいつかお話しましょう。

思うに、一流の作家というのは小説が書けるだけではなくて、評論が書ける人物であると思います。私的世界に引きこもるのではなく、私的世界と公的世界の関わり合いを見つめることこそが、現代の小説家の仕事だと思うのですが、如何でしょうか?

 

以上です。それではまた今度。